映画『死刑に至る病』ネタバレ感想 ヨハンと、松永と、サダヲについて
阿部サダヲがサイコキラーを演じる、『凶悪』『虎狼の血』などの白石和彌監督、原作は同名タイトルの小説で作者は『ホーンテッド・キャンパスシリーズ』などの櫛木理宇の映画。
公開初日に見た。
原作未読。
映画館は結構な集客で年代層も幅広く、白石和彌ファンってこんなにいたんだ──と思ったが、酔う考えたら普通にGWの中日なのであった。しかし、GWだからと家族や恋人と見に来るにはゴア描写多めで、なかなかダメージを食らった人も多いのでは?
俺はと言えば、なんとなく予告編で面白そうだなと思ったから見に行った。
白石和彌×阿部サダヲといえば『彼女が名前を知らない鳥たち』で、当時のTwitterを自分検索(吉田豪用語)をすると、以下の通り。
これのどこがネタバレ発言なのだろうか?
今となっては思い出せない。。
目次
なんか、小説っぽい。
原作読んでないけど結構原作に忠実なんじゃないかと霊感。
小説と言えば『殺戮にいたる病』(我孫子武丸)を明らかに意識したタイトルが原作には冠せられている。これまた、何を言ってもネタバレになるタイプの小説である。ずいぶん前に読んだのでディティールは思い出せないが、「主人公」が読者にとって次第に信用できなくなるという点で、タイトル自体もミスリードに利用したいという櫛木理宇の計算が合ったのだろうか?
Monsterのヨハンと北九州の松永太
Monsterのヨハンと北九州の松永太を混ぜたようなサイコパス犯人像を作りたかったんだろうなー。確かにサイコパス診断とか面白いもんなー。
・ヨハン→サイコキラーを伝播・拡散させるところ(タイトルもここで回収される)、しゃべり方
・松永太→人当たりの良さ、死刑判決が下った後もどうにか面会に来たものなどを誑し込もうとする、子供を操作してお互いに傷つけ合わせる
それと、事件をおうものが次第に事件に飲み込まれてしまう、『凶悪』の山田孝之のその後感もエッセンスとしてはあるかな。
実在の事件の犯人と漫画のサイコパスを同じレイヤーに乗せて面白がるのは我ながら被害者に対して不謹慎な感じがして気が引けるのだが、そんなこと言ったらモデルにして作品とかを作るのってどんな毛不謹慎なんだろう。つい先日、『全員死刑』原作の鈴木智彦が、映画撮影にあたってすったもんだ合った末、映画化におけるギャランティがごっそり本物の犯人にわたってしまった内訳を話していたが、そのような悪評に対する評価経済の仕組みのようなものが実録犯罪エンタメには付きまとってしまって、良くない。けど、おもしろいからなあー。
ミステリと映画の相性
最近、ポッドキャスト番組『pop life』の過去回を聴いていたら田中宗一郎が「ミステリーと映画は一番相性が悪い」という話をしていて、それはつまり「ストーリーや伏線回収、謎解きが興味の中心に担ってしまうのでどうしても説明的になり、映画的なダイナミズムが削がれてしまう」という理由なんだけど、確かにそのことはいろいろかんがえてしまった。
爪はぎとか、骨が見えているとか、ゴア的なシーンがやはり絵としては記憶に残るし、製作人のテンションも高いのを感じる。
あと、爪を花びらみたいに川にまき散らすシーン。
この辺りは、映画的だった。
重箱の隅をつつく
とはいえ、結局犯人は死刑が確定しているわけで、いまさら刑務所からどんなに影響を及ぼそうと思っても負け戦だし、別に社会を混乱させたい人じゃないんだから手紙攻撃でサイコキラーを増殖させたとしても「それがしたいことなの?」というギモンは残る。
阿部サダヲはサイコパスキャラをやり切ったと思うが、正直ちょっとおもしろすぎるよなあ。あの要望で妙にいい声というのがどうしてもチャーミングで、あんまり怖くはなかった。
でも、それこそが、犯人の「誰からも好かれる魅力」なのかもと思うと少しゾッとするね。
弁護士役の人の演技もすごくよかった。
ガンちゃんは結構叩かれているけど、まあそんな前に出るキャラでもないしいいじゃないのと俺は思う。
灯里役の宮﨑優はなんかエロかったけど、それは狙ったもんなんだろうなあと思うし、そのあたりのゲスな感性が白石和彌に対する「男」バイザーの信頼感でもあるので、以下のセリフは立派だなと思いつつ、そこに建前(悪い欲望を殺すいい建前)があるだろうことも推察した。
あと、原作ではイケメンキャラらしい榛村を阿部サダヲにしたのは確かにナイスな判断やね~。
ジャングル系のパッションあふれるツッコミ。
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