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映画『リコリス・ピザ』ネタバレ感想 「映画」と1973年に感じる壁

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映画『リコリス・ピザ』ネタバレ感想 「映画」と1973年に感じる壁

#下品な表現あり#『狂四郎2030』のネタバレあり

『リコリス・ピザ』の3枚の看板

1.世界三大映画祭の全てで監督賞を受賞した天才ポール・トーマス・アンダーソン(P.T.A)の最新作。第94回アカデミー賞脚本賞、監督賞、作品賞にノミネート(非受賞)。

2.舞台は1973年、ロサンゼルス。映画とポルノ産業のスタジオが林立するサン・フェルナンドバレー。主人公ゲイリー・ヴァレンタインは、15歳。子役としていくつかの映画に出演し、母が経営する広告会社ではPRの事業を行っている。彼は、写真撮影の助手として高校に訪れた25歳のアラナ・ケインをデートに誘う。2人と、1973年の物語。

3.ゲイリー・ヴァレンタインを演じるのはP.T.A作品常連でもあるフィリップ・シーモア・ホフマンの息子、クーパー・ホフマン。アラナ・ケインを演じるのはアメリカのロックバンド『ハイム』のアラナ・ハイム(ギター、キーボード、ボーカル)。ケイン一家も丸ごとハイム3姉妹とその両親が演じる。ショーン・ペン、ブラッドリー・クーパー、トム・ウェイツなど豪華俳優が脇を固める。

【雑感】映画好きが好きそうな映画である

俺は「映画」好きじゃないんだなと再確認した。「映画」そのものを「物語」よりも好きじゃないのだ。とはいえ、「映画」が俺の心に残したものも澱のようにある、とは思う。
気取ってんじゃないなら。

この「気取ってんじゃないなら」の主語は「俺が」。

俺は、俺が気取っていることに対してキビしい。

上記ポッドキャストの後半で映画音楽ライターの木津毅氏が「ファスト映画みたいなものに対する対抗手段として物語のない映画を撮る方法が取られる傾向が生まれたのではないか」と『アポロ10号 1/2 宇宙時代のアドベンチャー (リチャード・リンクレイター)』を類例として出して考察しているのだが、「それは確かになー」と思う。

ポッドキャスト中で言われるエッセイ、とかスケッチみたいな映画。それって編集で縮めたってなんのこっちゃわからないし、時間芸術である映画の真骨頂なのだろう。

だから俺は「映画」好きじゃないなと思う。普通に、早送りとかもしたいし、ネタバレも見る。

時間がないし、愛もないのだ。

でも、愛がない人にも平等に愛を注いでくれる映画を俺は愛するぞ。

【原因】1973年の精子ですらない俺

宣伝チラシからも伝わるようにこれは1973年への郷愁が詰まった映画なので、まずもってそこは共有できない。まだ精子ですらない。ウォーターベッドも、デビッド・ボウイも、文字と吹きこまれた音声でしか知らない。

『Life On Mars?』も知らずに「いい曲だなー」と思っていた。

予告はものすごくよさそうだった。俺はロマンチックコメディが好きだ。なぜなら、それはエンタメだから。映画を見に行った俺を気持ちよくして、さっぱりさせて、返してくれる。せっかく1000いくら払うのだから射精の半分くらいは気持ちよくしてほしい。

この映画はもしかしたらものすごく気持ちいのかもしれないが、揺蕩うプールのような気持ちよさであり、郷愁とともに脳イキを誘うものであって、俺をヌいてはくれない。全世界におっぱいを見せるのにゲイリーには見せてくれないアラナ。映画で見るおっぱいでドキっとしてもいいが、ヌいてはいけない。
なぜなら、映画は肉体を超越する(べき)だからだ、とシネフィルは言う。

【プラス要素】アラナがバイクから落ちるシーンで笑った

本作の俺的白眉は、アラナがまたがったジャック・ホールデンのバイクから無様に落っこちるところ。お笑いを見に行ってもほとんど笑わない俺が「ぷっ」と吹きだしてしまった。彼女がそれによってコケにもされず、さりとて気遣いもされないところも含めて、すごくちょうどよかった。

いやほんとに、俺は何を見てもあんまり表情に出ないのでこれはすげー面白かったということである。

ショーン・ペン演じる大物俳優ジャック・ホールデンジャック・ホールデン 引用元:https://youtu.be/m3V476Syrgs

【比較】『狂四郎2030』の「愛」を見た

思い出したのは、徳弘正也『狂四郎2030』の有名な1ページ。殺人鬼として育てられた狂四郎と、男に抱かれて生き延びてきた志乃は、「俺は殺人マシーンだ」「わたしは淫売よ」と、互いの思いを「告白」する。アラナはゲイリーを通じて知り合った有望な俳優に接近するし、ゲイリーはそこらじゅうで女に声をかける。互いに愚かであり、他者に対してひたむきでない。その汚らしさを開示するのが「告白」だろっ。それから目をそらさないのが「愛」だろっ!
という精神の波動は感じる。そんなに暑苦しくなく、映画的にそれが感じられるのは確かにすげえ。

それを言葉でなく態度と動きとカメラワークで「告白」するのが映画だろう。

それ、やってたんやろなあ。

一緒に見に行った嫁はんはとにかく登場人物の誰も好きになれなかったと話していた。ファッションやいでたちではなく、精神性がである。

「25歳のうだつのあがらあない女と15歳の高慢な男」が恋愛する話の嫌なリアルさが出ていたと話していた。

「これは褒め言葉じゃん」と結構な人が思うだろう。

でも、嫁はんは好きになれなかったのだ。そして俺ももっと物語が欲しかった。

苦みの奥にある甘さと複雑さを楽しむような余裕とプライドを持って映画館に足を運んでいないのだ。

こうして映画は死んでいく?

まとめ──現時点ではこんなもん

「映画」とうまさは、人の視点を借りているだけかもしれないが、確かに感じた。

また、曲が良かった。

ただ、おもしろい話が好き、という意味では俺は『狂四郎2030』を選ぶ。

P.T.Aの過去作とかももうちょっと見てみて、それで判断を下すとまた大きく変わりそうな気もする。

俺に「そんなころ」はなかった……引用元:https://www.licorice-pizza.jp/#