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コント論1/スケベな絵を

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コント論1/スケベな絵を

people walking near pyramid glass building

練習したり、ピアノを弾いたりできたので、昨日はいい日だった。

将来はピアノとスケベな絵を披露して最後に一本だけ漫才を披露するエンターティナーとして世界を回っていきたい。

言語がわからなくても伝わるやつでお客さんを集めて最後にポカーンとさせて変えるのだ。

言葉が通じないというのは本当に面白いぜとバビロンは思う。

宮田バビロン。

鋼田テフロン。

people walking near pyramid glass building
Photo by Alessandro Bonanni on Pexels.com

絵も料理も音楽も基本的にごちゃごちゃと複雑にした方がよくなる。

足し算の理論である。

そのカウンターとして、引き算の音楽、素材だけの料理、線のきれいな絵も存在するが、

俺は足し算が好きだ。

足して足して、あとでいらないところを引いた方が性に合っている。

その性質のせいもあってか、コントを考えてもどうもシンプルにならない。

シンプル過ぎると不安になるという面もある。

しかし、大喜利として面白いかどうかとコントとして面白いかどうかは結構別物なのだ、とわかった。

例えば「土下座してるやつを駅で見かけました。なんで?」というお題に対して、大喜利的にこねくり回すと「そいつなりのフラッシュモブの始め方がヒクツだった」とか「姉歯建設の建物偽装の件に関わっていたのを今になって謝罪している」とか、けむに巻くような答えをついつい考えたくなるのだが、コントになるのは「土下座が趣味だから」みたいなシンプルな奴だったりする。

特殊な答えを成立させるにはそれなりの説明や演技力が必要で、それが特に2分程度の短いコントでは難しいんだナ。

だからこそ、コント師が長いコントをやりたがる意味がよくわかるのだ。

とはいえ、それが求められているかというとまた別の話ではあるが。