『燃ゆる女の肖像』感想──82点 恋愛に興味ない男が考えた「燃える」の意味
評価高めフランス時代劇レズビアン恋愛映画『燃ゆる女の肖像』を見た。完成度の高さから各所で評価の高い本作。2019年カンヌ映画祭ではクィア・パルムを受賞した。配給はGAGA。公式サイトは堅実な造りだが、よそでの評判をガンガン載せるあたり若干チャラく感じる。
監督は本作でエロイーズを演じたアデル・エネルのパートナー関係を解消したばかりで撮影に臨んだセリーヌ・シアマ。『水の中のつぼみ(2007)』『ぼくの名前はズッキーニ(2016/脚本で参加)』など。
もう一人(エロイーズとダブルで)の主演ノエミ・メルランは『英雄は嘘がお好き』にも出演。これはなかなか面白かったよ。感想はこちら。
目次
全体の感想──恋愛に興味ねえからお客さんではない
結局恋愛に興味ないからあんまりエモくならず。
10日足らずとプラス3日だけ描いた話なのでたいして大きな話ではない。「見る/見られる」「思い/思われる」という関係が萌芽してすぐ摘み取られるので、その先に大輪の花の狂い咲きの幻影を見る人はガーっと熱くなるのかもしれない。
ちなみにラブコメは好き。
なんかイチャイチャしてドギマギしている様子はファンタジーとして面白いけれど、ガチになられるとこちらもガチな反応を返すことしかできず、引いてしまう。
まあ、別にいいじゃないの絵画が売られるように結婚しても、あの時代に貧乏で誰にでも訪れるような病気でコロンと若くして死なないだけでも、と思ってしまう。
恋愛を支配されることとかジェンダー構造に組み込まれることのつらさ(裏腹なエモさ)がまじで分からない。生きてりゃいいっしょと思う。
想像力の欠如だろうか。
恋愛とか個人の尊厳とかどうでもいいから、たくましい男に見初められて他の物を圧倒するようないい暮らしがしたい。
でも、それは現実を知らないで恋愛にファンタジーを見ているだけなのかもしれぬ。
──そう、結局子どもの感覚なのだ。
所有物のように暮らすことのつらみはわからない。
燃えるような恋も。
あー、広末でも聞いてリフレッシュしょ。。。
フェミニズム的観点について
島にマリアンヌが乗り込んでからは意図的に男性が排除されている。ソフィにもマリアンヌにも過去には男の影があるにも関わらず。「不自然だなー」と思っていた。ここまで不自然なユートピアを生み出すのは非誠実に感じる…でも、まあ男しか出ない映画に俺が違和感を感じないことの裏返しとして意味があるのかなー…などと考える。
終盤、唐突に男が出現する。「うわ男だキモ」と思う。嫁はんが前に「男はうっすら「女」が好きで女はうっすら「男」が嫌い」という話をTwitterで見て、それはなかなかわかるねという話をしていた。なるほど、「「男」が嫌い」とはこういうことかなと思う。
だとすれば意図的に男を排除した意味が俺にさえ生まれたのだろう。
登場する男はマリアンヌが書き上げた肖像画を回収するためにやってきた男である。パンを食べながらのんきに「おはよう」とあいさつする。
いたって善良そうで見た目も悪くない。
でもなんか変な生物がパライゾを侵しに来た感が半端ない。
髭が生えてたのが悪かった気もする。
18世紀を舞台とする本作で女性はコルセットにより胸を強調しているわけであるが、“ヒゲとボイン”とは男性性と女性性の象徴として古典的なものだということがよくわかる。
ゴリラクリニックで永久脱毛した優男がいたら多少印象も違ったかもしれない。
でも、それはなんか女の園に女性化したチャラ男がやってくるだけの映画になってしまうのでキモい男がやってきてくれてよかった。
「燃える」というタイトルの意味、私はこう考えた
結局「燃える」というモティーフは何を意味しているのだろう。マリアンヌの前任者が描こうとしてついに描けず顔だけぽっかり空白となった絵画が暖炉で燃やされた理由は?
スカートの裾に火ついたらもっとみんな焦って消しに来いよ!
これはしょうもないツッコミの部分。
そこらへん、現代劇ではないので軽くファンタジーぽさがある。
途中で出てきた薬草を飲んで棚からぶら下がる堕胎方法はなんだったんだろうか。
まあ、当時の時代考証に沿ってやってるんだろうけど。
俺は、燃やすとは「荼毘にふす」ことにつながるのかなと思う。キリスト原理主義的な考えでは、火葬はご法度だ。死後の復活が妨げられてしまう。
マリアンヌは前任者の顔のない肖像を燃やすことで絵画に対する煮え切らない思いをまず、断ち切ろうとする。しかし、エロイーズがそれを許さない。中盤、エロイーズの服の裾に火が移る。マリアンヌはそれをぼうっとながめる。そして、別れた後に絵画に残す。
正直言って「燃える」シーンは印象的ではあるものの、それは唐突に挿入されたからで、あんまり物語において重要ではないのだ。
堕胎から目をそらしていた、エロイーズよりも弱い人間であるマリアンヌ。オルフェウスのように顧みてしまえば、そのままではとどまれないことを悟っていた。だから振り返らない…振り返らない…振り返(白い光)。という島での別れになる。
マリアンヌの中でのエロイーズはあの祭りの日から、ずっと火の手を広げており、最終日についに灰になってしまった(として自ら断ち切った)。灰からの復活を実現できるのはやはりエロイーズだが、彼女は決してこちらを直接見ることはない。
かくして燃える女たちの12日間は葬り去られたのだ。
途中で使用人のソフィ(ロイ―ズ・マリアンヌ・ソフィの3人で同世代友達みたいになる)が近所のババアの家で堕胎を試みるのだ。
ババアに子どもをかきだされているであろう様子からマリアンヌは目をそらすが、エロイーズがしっかり見ろといい、帰ってからは自分がババアの役を演じて絵画に残させようとさえする。
「ちょっとあんたそりゃソフィからすれば余計なお世話ってもんじゃないのかい」と思うが結局まんざらではなかったということだろう。
それこそ女性にしかわからない気持ちではないだろうか。
『燃ゆる女の肖像』2020年12月4日(金)公開、映画前売券(一般券)(ムビチケEメール送付タイプ)
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