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エイス・グレード──「普通」を映画にする技法 ※ネタバレ

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エイス・グレード──「普通」を映画にする技法 ※ネタバレ

エイス・グレース「ポスター」

Filmarks感想

はじめはアメリカの、女子の、中学生の『桐島部活やめるってよ』だと思ったんだけど、もっと主観に寄った話だった。

ほかの生徒の背景とかは特にない──一見イケてるあいつもあいつで実は……みたいなのはないので桐島よりスクールカーストとか人間に対する洞察は浅いように思われるが、そもそもそういう映画ではないのだ。
ものすごーく対象に寄り添った話。

好きな男子(観客から見ると大したことない)が視界に入るとめちゃくちゃスローでデジポップが流れるし、なんかそこら辺の演出、下手したらダサいんだけど細かいところがしっかり作られているのでB級感はかんじず、ケイトに観客が感情移入せざるを得ないように持ってかれる。

アメリカのスクールカーストの低い女の子の物語以上でも以下でもないんだけど、それがイイネとオバマ夫妻は思ったんだろう。バナナでフェラの練習とかするシーンあるけど全然良識派でも進められる品があるんだよなあ。

逆に言えばその「品」こそがリアルを描いてないんじゃないのー、もうちょっとイタい目に合わせてもいいんじゃないのーと思ってしまうが、そうなったらなったで不満を抱いたかもしれない。

中学二年生日記。

Story

エイス・グレード──ミドルスクール卒業を控えた最後の一週間、ケイラは「学校1無口で賞」を望まず授与される。Youtubeに自己啓発動画をアップしているが再生数は1~2回。母はおらず、パパはダサい。クラスのエイデンが気になるが、人気者のケネディに路傍の石扱いされている自分。中学入学時の自分からのタイムカプセルに詰まった夢や希望を私はどうすればいいんだろう──。

普通って、つまんねえよ

主人公がどのくらいの位置であり、どのくらいの存在なのかがよくわからない。

要するにそれくらいのあいまいな普通、っていうところに潜むティーンの悩みを描く技法がここ数年確立されて、青春映画のひとつのムーブメントとなっている。

映画監督志望の人間なんて『いちご100%』の真中のような青春を送ったわけもなく、ただ趣味に耽溺して、でも趣味の中では高尚だぞという自意識の中で中くらいのカーストの中、伏して過ごしてきたはずだから、彼らがようやく“リアルなあの頃”を吐露できるようになったということかもしれない。

ただ、なんでこういうリアルなあの頃が今まで描かれなかったかというと、そんな上にも下にも突き抜けていない主人公は基本的につまらない(と予想される)からだ。

主人公がつまらないと、普通はつまらない映画になる。

では、エイス・グレースをはじめとする「普通の」青春映画はどんな手法を用いているのか

「普通」を映画にする技法①あるある

観客の共感を誘うためのディティールへのこだわり。

本sカウで言うとタイムカプセルを空けるシーンにそのエッセンスが詰まっている。

ポケモン、ジャスティンビーバー、スポンジボブのUSB……。

日本で言うとAKB初期メンのカードとか神羅万象チョコのシールとか入ってる感じ?

普通の主人公の強みは共感を得られるということだ。そのためには、最大公約数を取りつつ確かに生きていると感じさせるようなパーソナリティに基づいたサブカルチャーの取捨選択が求められる。

そのあたり、どう考えても監督、脚本化、小道具の体験に基づいてしまうと思うので、だれかがこうだったんだろうなあと思うと作り手への共感もわいてくるよね。

こういった「物」だけでなく「シチュエーション」もあるあるでは重要だ。

今回、ポスターになってるプールのシーン。このシチュエーションを組み込めたのがこの作品が平凡な普通の青春系の映画から頭一歩抜け出せたユニークポイントだと思う。

プールは友達じゃないやつといっても全然面白くないもの全世界代表だからである。

よくよく考えたら水につかって浮いたり沈んだりすることを面白がるって変だ。

ゲームとか本とかスマホにも逃げ込めない。現代の強制的オープンワールド地獄がプールなのである。

また、体型が丸わかりなのもきつい。ケイトは普通に学校生活送ってる様を見る限りまあまあかわいい。ただ、プールのシーンのダサい水着にはみ出た肉。

美醜で一喜一憂するこの時期の女の子としてちゃんとコンプレックスを持っていい!と観客は太鼓判をおせる。

その結果、感情移入できる。

そういうカラクリがあるわけだ。

「普通」を映画にする技法②主観バイアス

共感が重要だと散々語ったがそれだけでは映画じゃなくてドキュメンタリーを撮ったほうがいいという結論になる。

本物のリアルはそこにしか、いやそこにすら、ないのだから。

映画は物語を語るものだ。

そこで、主人公の主観をどれだけさりげなく大げさに表現できるかが重要になってくる。

エイデンを見つめるときの音楽とスローモーション。正直そんなんいらんねんと観賞時は思っていた。

フジテレビ全盛時代のコントの演出じゃないんだから、と。

しかし、あれがなければ物語性を読み取るのがひどく困難になっていたと思う。

特に俺はさりげないところから話の筋をつかんでディティールを楽しむのが苦手なタイプだ。

「とりあえずここは重要やで!」と予備校講師張りにでっかく丸を付けてほしい。

それが、エイス・グレードにはあった、結果大衆性を獲得できたと大衆代表の俺は推察する。

ロリコン映画としてのエイス・グレード

物語論を散々語ったので下卑た話をするけど、この映画ロリコンが大喜びでおかずにするんじゃないか?と思った。

ケイトは前述の通りちょうどデブで顔はかわいい。

(欧米人の平均からしたらあれなのか?)

しかもプールのシーンやバナナでフェラの練習するシーンや高校生にセックスに持ち込まれそうになる場面がある。

ほのかにエロい。

俺が有識者だったら「いい映画だった。けどこの映画をよこしまな目で見るやつがいたら軽蔑するね!」とあらかじめ予防線を張っていたところだ。

でも無識者なので声を大にして言うが、俺は「エロい」と思ったね。

別にロリコンじゃなくて、めちゃくちゃおばさんのAVみるけど。

思ったね。

 

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