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アメリカン・アニマルズ――これもジョーカー(恥) ※ネタバレ

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アメリカン・アニマルズ――これもジョーカー(恥) ※ネタバレ

アメリカン・アニマルズポスター

Filmarks感想

手法とか音楽の使い方とか才気走っている。もっと点数を入れてもいいくらい(※Filmarks評価3.7にした)だが、このくらいに落ち着くのは最後に“スッキリさせてくれなかった”からだが、そんな奴はこの映画みんなという話なのである。

柄ちなみに映画館ではスクリーンの裏の窓が閉め忘れられていて、画面の左下隅にディメンションの違う小部屋ができているみたいになっていた。
そういうメタ的な実験映画かと一瞬思ったぜ。

主人公のスペンサーが一番ダサくて、結局犯罪には乗らないと言い出した挙句、外から見張り役だけをして、鑑定所で大ポカをやらかし全員逮捕の元凶(多かれ少なかれ逮捕されていただろうが)となる。
結局犯罪に対してすらも、ほぼフリーライダーだったというのが何ともダサい。そのせめてもの罪滅ぼしとして鑑定士のもとには自分が出向いたのだろうか?

“何物にもなれんかった”ということは大学に入ってから急速に現実味を増し、卒業間近には完全なリアルとなって我々を襲うのは欧米もアジアも共産圏も同じ。いや、知らんけど。
かくいう俺も大学中退すればいっそ……なんて思ったこともあったなあ。

でも自爆は自爆でしかない……のか?

この映画の結果を見よ!スペンサーらはしょうもない犯罪によって確実にこの“映画の主役という何者か”になったではないか?
そしてスペンサーは現在画家になっていて、ヴァーレンは映画監督、チャスは刑務所でのトレーニングについての本を記すトレーナーだって?
全員やりたいことやってんじゃん!(唯一エリックは作家志望というなんとも微妙な感じ)
この映画を見た観客によって少なからずスペンサーの作品に興味を示す者もいるだろう。
とはいえ、彼らは若くて充実した7年間を失った?
もともと無いような人生なんじゃなかったっけ?

“何者かになろうとして、無軌道に何かをしたところで何物にもなれない”。そんな厳然たる現世の法則を無法者youtuberや鼻持ちならないモラトリアム野郎に突き付けてよと思うけれど、この世はそんなに単純ではなくそれがまた愚か者を愚かな行為に走らせ、99.9999%を更なる低みへ、ごくわずかを“何者か”へと誘うのであった。

(True)Story

スペンサーはケンタッキーでつまらない大学生活を送っていた。悪友のウォーレンも同じく。そんなある日、大学にオーデュボンの本(12億円相当!)が保管されていることを知ったふたり。強奪計画を練り始める。FBIを目指すエリックとボンボンのチャドも仲間に引き入れるが―。

やるかやらないか黙るか叫ぶか

新自由主義者がいうところの「俺は行動した。行動しないお前らは負け犬だ!」を生存者バイアス丸出しのマウント発言として俺は心底軽蔑するね! といいつつ予測されるそれらの財布の厚みと自分のそれを頭の中で天秤にかけてみて忸怩たる思いを抱いた、という人間は少なからずいるのではないか?

そこで人間は

①黙ってやる

②大声で叫びながらやる

③黙ってやらない

④大声で叫びながらやらない

の4択を迫られる。

この中でダントツにクールなのは④だ。

なぜなら完全に狂人だからである。しかし、本当にくるっていないのに狂人になることに人間は耐えられるようにできていない。

そこでプライドの高い人間や我慢強い人間は①を選び、

プライドを棄てられる人間や洗脳された人間は②を選び、

理想を抱いて眠ることに希望を見出すものは③を選ぶ。

しかし、やりながらにして④を選ぶ手段が一つある。

それが、違法行為だ。

なぜならそれは社会的に“やっている”とみなされないからである。

そんなんやらないのと同じ、やらない方がマシ、と“あいつら”の誰もが言うだろう。

それこそが、最高にクールだ、とスペンサーたちは思ったはずだ。

その気持ち、わかるよ。

これもジョーカーよ(恥)

さて、Filmarks感想にもあるとおりスペンサーらは結局悪いことをして何者かに“なってしまった”のである!

奇しくもこの映画の誕生によって。

『カメラに止めるな』の監督が昔ボートで遭難して辛坊治郎状態になったという話とか

EXITの兼近が女衒と金庫強奪に関わっていたという話とか

過去の罪は許されるべきですよねと思いつつ脳に②思い浮かぶのはこち亀の「あのシーン」である。

こち亀42巻「仕事さがし!の巻」より抜粋

「なんやねん!そしたら悪いことした方がマシやんけ!!」

そう思わせたら「社会の負け」である。

しかし、「社会が負ける姿が見たい・・・! 社会が憎い・・・!」と思っている人間は少なからずいるし、今後も先進国では増えていくはずだ。

同じ幸せでも得たときよりも失ったときの方が何倍も痛いのだから。

なんかジョーカーといい、最近こういう話多いなあ…という系譜に連なるのがこの映画だという結論になった。

なんでもジョーカーにつなげるやつみたいになんのダサくて恥ずかしいなあ。

ひー。

 

 

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