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ヘッドライトとナイツの同時多発

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ヘッドライトとナイツの同時多発

 

ヘッドライトとは、和田友徳と町田星児からなるコンビで、
2000年3月結成。同期は麒麟、アジアンなどである。

僕は定期的にヘッドライトのことを思い出す。
昔からM-1グランプリが好きで毎年予選からどこがウケていたのかなど、調べるのが好きで中学くらいからそれをしているのだが、ヘッドライトが準決勝に死ぬほど強く、しかし毎回トップに近いウケを取っていたのに決勝に一回も上がれなかったのだ。
2008年は後に優勝する笑い飯に負けず劣らず受けていたというのである。
ヘッドライトが準決勝でウケまくって落ちるというのは、年末の風物詩となっていった。

悲劇の2008年

ヘッドライトは前述のとおり2008年が最大のチャンスで、最大の悲劇にあった。
その理由の前にヘッドライトの漫才を書き連ねてみる。

M-1グランプリ2008敗者復活戦「カラオケ」
Mがツッコミ町田 Wがボケ和田

M「僕ねカラオケが好きなんですけどね」
W「あー俺も好きでなこの前女の子といってんけど全然盛り上がらんかってんやん」
M「あー おまえが盛り上げへんからあかんねやんか」
W「いや多分な。歌った曲が悪かったんよ 何歌ったか言うてくとな…」
M「曲のせいにすんなよ」
W「最初に歌ったんが140102やねん」
M「番号いうなや 曲名言ってくれや」
W「で次が SMAPのシャケ」
M「SHAKE(シェイク)やろ 英語読まれへんのかいな」
W「んで 壊れかけのデミオ」
M「車の曲かい 壊れかけのradioや」
W「ほんでー いますぐKill Me…」
M「死にたいんかい どこまで英語読まれへんねん」
W「ほんで次が 一部抱きしめて」
M「全部しろよ 漢字も読まれへんのか」
W「ほんで次が 15の昼」
M「学校行ってるやろ 15の夜や」
W「ほんで 何も家になくて… 夏」
M「寂しいな 夏やのに」
W「ほんで次が あの紙ヒコーキ曇り空割った」
W「すごいな!」

これを読んでピンとくる人もいるかも知れないが、
少しずらしたボケ方やテンポ感がナイツのヤホー漫才に酷似している。
塙と土屋に変えてみても正直成立してしまう。

そして2008年決勝のナイツ「宮崎駿」

Hボケ塙 Tツッコミ土屋

H「最近ね子どもの人気とか大事かなと思うんですよ」
T「子供人気から火つく芸人さん多いですから」
H「子供が何に興味持ってるか調べようとおもいまして
ちょっと昨日インターネットのヤホーってサイトで検索してましたら
子どもはねアニメが好きだってことがわかったんですよ」
T「それ調べないとわからない?」
H「日本におけるアニメ界の巨匠を見つけてしまったんですよ 宮崎駿ってしってます?」
T「今更かよ 今更宮崎駿知ったの?」
H「なんだこいつと思いまして 気になったので
近所のTATSUYAで何本かかりまして」
T「TSUTAYAだろ 良い漬物置いてそうだけど」
H「全部面白い作品だったので 宮崎駿さんについて調べてきたんで
みなさんにお話しさせていただきます。
宮崎駿は1941年東京都ブンキン区で生まれました」
T「ぶんきょう区ね 北京みたいに読まないで」
H「今年で67歳になります 67歳だからえっと山羊座になります」
T「どういう方程式をいったのかわからないですけど」

ネタの肌感がそっくりである。
これはどっちかがネタを盗んだという話では無く、
同時代に言い間違い漫才が西と東に同時多発で現れていた。
ヘッドライトはその覇権争いに負けてしまったのである。
ナイツの言い間違い漫才は記憶では2007年の敗者復活戦でほぼ原形が出来ていた。
ヘッドライトもそれくらいかもうちょっと前に原形が出来ていた。

本人も言及している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして2008年決勝のステージに上がったのはナイツで、
その後ヘッドライトは決勝の舞台に上がることは無かった。
同じような漫才を二組挙げる訳はなく、トップクラスに受けていたのに、相対的に落とされてしまった。
2008年最大の悲劇はナイツが存在していたということなのだ。
ナイツのその後の活躍は皆さん知っての通りだ。

ヘッドライトとナイツの違いは、素人目線で見れば、
やはりヤホーというつかみを産み出した差だったと考える。
たらればになるが、ヘッドライトがヤホーのような武器をもう一個見つけていれば
すこしお笑いの縮図も変わっていたのかと思う。
もっと言えばナイツが居なければどうなっていたのか。
弱肉強食に揉まれてしまったのである。

今もヘッドライトは大阪で活動している。
同期の麒麟の川島は全国ネットのテレビに出る中、激辛のロケなどをして若手のように体を張っている。

若手芸人に混じってライブに出て、気合いをいれるでもない舞台を張り切って漫才しているのを後輩にいじられて言うと聞く。
たまにテレビに出てくると、M-1のことをを思い出すのだ。
でも僕は、そんな不器用なヘッドライトが好きだし、
まだまだチャンスはあると応援している。

まだ光は切れていないのだから。
というダサい締めを思いついて迷って結局書いた。

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