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『蜜蜂と遠雷』(小説)感想――将棋と音楽と勃起

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『蜜蜂と遠雷』(小説)感想――将棋と音楽と勃起

蜜蜂と遠雷の書影

読書メーター感想

映画を見てから読んだ。恩田陸はどちらかといえば苦手で全然読み進められない作家。『六番目の佐夜子』ですらそうだった。思うに、俺は主人公を完全に自分自身に重ね合わせる私小説タイプ自己陶酔作家か完全にコマとして扱うエンタメパズラーが好きで、キャラを自分の子供のように扱う作家が嫌いなのだと思う。そして、それに恩田陸も当てはまる気がするのだ。とはいえ、文章はどう考えてもうまい。映像的で、この表現があってるのかわからないが漫画を読んでるみたいに感じるところもあった。情景が浮かぶ。後は最後の思い切りの良さ、ですよね。

Story

次世代ピアニストの登竜門として注目を集める芳ヶ江国際ピアノコンクール。三次の予選と本選を経てモスクワ、パリ、ミラノ、ニューヨーク、芳ヶ江の5都市のピアニストが腕を競う。かつての天才、栄伝亜夜。王道を往きそして超えるピアニスト、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。生活者の音楽を鳴らす高島明石。『ギフト』であり『災厄』風間塵。4名の登場人物に焦点を当てて、音楽⇔世界、一瞬⇔永遠が開かれる様を瑞々しく描く。

将棋と音楽―その違い

常人の理解の及ばない若き展開がひしめき合い、残酷に散る世界はこの上なく可憐に写る。

奨励会制度や、今作のコンクールの年齢制限をみても最年長が20代。20代半ばでこんな土俵に立ったことのない俺たちは青色吐息で桃色の目線を向けてその残酷ショーに陶酔の目を向けることをいじましくしかし凡人の特権として甘受するほかないのだ。

とはいえ将棋と音楽で異なるのは、将棋は一対一で明確な優劣を決めるものであるのに対し、音楽には明確な正解などないということだ。

将棋の方が残酷でわかりやすい世界であり、だからこそ『月下の棋士』や『ハチワンダイバー』『三月のライオン』など多くのフィクション作品の題材になっていたといえるし(もちろん音楽を二次元で表す困難さも多分にある)、しかし「正解のない」ものに対し命を燃やさなければならない音楽の方が求道的であり狂気を孕むともいえる。

言い換えれば、そこには音楽家を殉教者としてしまうような宗教性があるのだ。

今作でも音楽の高みが宗教的忘我のように表現されている部分は多分にある。

おいていかれる――いや、違う――飲み込まれる。あたしたちは、風間塵に飲み込まれようとしているのだ。彼の宇宙――ブラックホールというのではなく、真っ白な、彼の宇宙に吸いこまれる。

ハードカバー版『蜜蜂と遠雷』p.396

第三次予選にて風間塵の鳴らす「アフリカ幻想曲」を聴く亜夜の心情描写。ピアノを奏でる風間塵はのようであり、あるいは教祖のようである。

将棋がいかほどに強くても人間の高み――我々の側――に感じるのは「将棋星人に勝負を挑まれたら羽生を出すという有名コピペ」を引き合いに出せばわかりやすいだろう。それに対し、音楽は人間を音楽星人にしてしまう。もはや人間は飲み込まれてしまう。

まあ、実際そんな経験をしたことはないからクラシック沼にはまらずライブ通いをせっせとすることもなく大人しくSpotify聴いてるわけだが。

そういうたぐいの音楽観を小説に投影した力量が『本屋大賞』と『直木三十五賞』の同時受賞につながったわけだね。

 

勃起せえ――キャラクターの厚みにまつわる注文

冒頭の感想の補足。

俺は主人公を完全に自分自身に重ね合わせる私小説タイプ自己陶酔作家か完全にコマとして扱うエンタメパズラーが好きで、キャラを自分の子供のように扱う作家が嫌いなのだと思う。

子供というと自分の手に負える何か矮小なキャラのように感じられてしまうかもしれないが、それは誤解だ。本作においても恩田陸の生み出したキャラクターが恩田陸をその想像しえた以上の世界へ接続し、それが読者である我々にも伝播しているのはわかる。それこそ作中でミステリ作家と音楽家が並べて語られていたが、作中の音楽と恩田にとっての小説は等価であろう。生け花とピアノが風間塵にとってともに世界の一部であるように。

とはいえ、俺がこういう作者についてついつい疑問に思っちゃうのは「このキャラ男や言うけどホンマにチンコついとんけ」ということである。

本作で言えばマサルがほんのり亜夜を好き?みたいな個所があるのだが、まずちょっと好きならその入りにちょっとエロい目で見てるがあるのが男性器付きの人間個体というものではないのか?

特に亜夜は作中で

あたし、ギターを弾いてて、初めて男の人が『いく』っていう感覚が分かった気がする

ハードカバー版『蜜蜂と遠雷』p.199

なんて言っているのだ。「あっはは」じゃねえだろ!

まあ、マサルは激モテという前提があるし、亜夜視点の部分なので心の中でどう思っていたのかは明かされていないのだが。

このあたり、どっかでマサルが勃起してる感じだしてくれないとなんか、アンフェアに感じちゃうんだよなあ。

風間塵だって「天然の天才」の典型のようなキャラであり、作中で天才を目覚めさせるためのマクガフィンみたいなものなので十五を数えているとは思えない天真爛漫さも理解はできるが、それでもそこで一勃起の瞬間でも臭わしてくれたらさらに厚みが出たと思うんだがなあ。

なんかスーパーショタコンの文章たいできも!

 

 

 

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