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『英雄は嘘がお好き』感想──ベタおもろ。これ以上求めるものがあるかね? ※ネタバレ

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『英雄は嘘がお好き』感想──ベタおもろ。これ以上求めるものがあるかね? ※ネタバレ

見た直後の感想

ウェルメイド!
こういう系(ウィット重視のラブコメ)でつまんなかった試しがない
当初はショット間のつなぎが荒く、伝令の来るタイミングとか明らかにリアリティを無視していたのであー、これはハズレかなぁと懸念したのだけど、結果ちゃんと面白かったね。
王将と同じ。どこで食っても安定してうまい。
つなぎの荒さに反しキャラ設定が意外に丁寧で主人公が大佐を自身の作品として思い入れるのは腹落ち感のある動機だったし、そこから非社交的な行き遅れ的扱いで、大佐とくっつくことに違和感がなくなっていくのもうまい。大佐のホラが終盤実現する流れもベタながらお見事。日本も第一次大戦あたりの設定で同じやつ作れるでしょ。大泉洋と木村文乃あたりでさ。

Story

1809年フランス、ブルゴーニュ。女たらしのヌヴィル大佐に恋する娘ポリーヌ。ついに求婚を受けるが、ヌヴィル大佐は戦争開始の知らせを受け、そのまま馬に飛び乗り旅立ってしまう。「手紙をくださる?」という問いかけに「ええ、毎日」という一言を残して。

──しかし、ヌヴィルからの返事は来なかった。心痛のあまり肺炎を患った妹のため、ポリーヌの姉エリザベットはヌヴィルからの返事を代筆する。その嘘はどんどん膨らみ、ピリオドを打つため姉はヌヴィルの物語を英雄的な死で締めくくった。

しかし、1812年、ヌヴィルは帰ってきた。

エリザベットは、ヌヴィルは、嘘を隠し通すことができるのか?

公式サイト

https://eiyu-uso.jp/

映画あるある:「洋画のベタラブコメに外れなしの法則」はなぜ起こる?

この映画の類の映画が俺は一番好みである。おしゃれでベタな「外国映画の」ラブコメが。

なぜか邦画では食指が動かない。俺が白人至上主義者だからだろうか?

そうかもしれない。

ただ、それだけじゃなくて、この類の「ロマンチックベタコメディ」は駄作と良作の差があまりに激しいからだと俺は自己分析しているのだ。

洋画は日本に入ってくる以前にまずDVDスルーか劇場公開かといったところで厳しい精査がなされている。

そのため、総じてある一定のランクはクリアしている。そして大衆的な作品、ハリウッド資本から離れた作品であればあるほどその花丸印は信頼がおけるものになると思う。

純粋に観客を楽しませようとして、また資本力がない分脚本の力を高めて構築された可能性が高いからだ。

反対に、

大衆的な作品ということは最も国内で量産されやすい作品ということになる。例えば「○○な先輩」的なティーン向けラブコメが日本でめちゃくちゃ量産されているように。海の向こうでも同様の潮流があるはずだ。しかし、そのうなりを上げる駄作の数々は(まぎれた良作とともに)海外上映の壁に阻まれる。

そうしてえりすぐりのものだけがに日本にお出ましになるというわけですな。

英雄ポロネーズをかけよう。

本編の話:ラブコメの動かし方とキャラクターの絡め方が上手ぅ

本作が特に優れているなと思ったのは「キャラクター性とその変化の論理的納得性」である。

ラブコメの勝ちパターンは基本的に「いいかげんで女たらし。だけど心に寂しさを抱えた伊達男」と「恋愛強者ではなかったけれど見た目は良し。どんな男とも丁丁発止で渡り合う勝気な女」の組み合わせである。

例えば昨年視聴したパリ、嘘つきな恋(これも嘘の話!)もマダムのおかしな晩餐会』(こちらはアンとボブの方)もそうだった。

道明寺と牧野つくしだってそうだ。

この理由を分析するに、まず両方共が自己主張できるタイプ(恋愛については不器用でもOK)でないと会話劇が中心になるラブコメでは盛り上がりに欠けてしまうのだろう。

そして両者ある程度異性にモテなければ恋愛のやきもきが生まれない。

さて、本作の英雄たるヌヴィルは見た目こそ髭ずらのドン・キホーテなのだが、女にもてる・いいかげん・悲しみを抱えている(戦争の傷)はドンピシャで上記の条件に当てはまっている。

そしてヒロインエリザベットは妹の結婚のせわばかりで浮いた話のない姉、しかし手紙をでっちあげる空想力を持ち、一応軍人のヌヴィルにも正面から説教できる。

まー、これ以上ないほどべたな組み合わせである。

しかし、ここで一番難しいのがそんな二人がどうやって自然にくっつくかだ。当然しっかり者の女はちゃらんぽらんな伊達男に怒りをぶつけるし、伊達男は浮気を振りまく。

普通に考えたら二人は関わらないで終わりました、チャンチャンである。

そこで、家族に相手を惚れさせたり、一緒に仕事をせざるを得なくなったり、どっちかがどっちかを怪我させてしまったりするわけだが、本作ではその動機付けに「英雄ヌヴィルはエリザベットの作品である」、という設定をうまく絡めてきた。

エリザベットの嘘をより都合よく捻じ曲げ、聴衆の人気を得る(ついでに詐欺の投資話で金も得る)ヌヴィル。

彼に対しエリザベットは怒りを燃やす。それが単なる正義感でなく「ヌヴィルの英雄譚は私の創作物なのに!勝手に捻じ曲げるなんて!」という創作者としての権利の主張だと徐々に伝わることで、エリザベットという人間の価値観や立ち位置までも大きく広がることになるのだ。

一、エリザベットは空想・創作に情熱を燃やす、オタクっぽい女である

二、当時の社会においてそうした活動に情熱を燃やし未婚の女は“変わり者”扱いである

三、エリザベットの創作を人々をより熱狂させる形で改変させられるヌヴィルはエリザベットのクリエイターとしての嫉妬の対象であり対等の能力を持つパートナーでありうる

これは、、、、、、うまいで

こうした細かいキャラクター性のちりばめ方が丁寧でうまい。

ヌヴィルの死を知ったポリーヌが娶った夫デュプレシが船の模型作りに取り組む気弱な男というのは、創作という点でエリザベットと重なる点があり、だからエリザベットが彼と妹の縁談を後押ししたということがよくわかるし、そんな手先の器用さは射的の名手という中盤判明する設定の伏線になっている。

序盤のポリーヌの手紙が「まるで、、、エロ小説だわ」というひとギャグに過ぎないと思ったセリフが、後半ヌヴィルの命を危機に陥れまた救うという展開も無駄がない。

あと、こういうラブコメはそこはかとなくエロいほうが楽しいのでその点でもポイント高い。

結局恋愛と性愛は地続きやからね。グータンヌーボで言うてた。

低い評価に怒る

Wikipediaによると、ル・モンドとL’Obs(フランス語版)、プレミアはこの作品に5点満点中★一つの評価をつけたらしい。

引用元:Wikipedia「英雄は嘘がお好き

それはカッコつけてるわ!

これに★一つつけるやつには絶対「きみの膵臓が食べたいに高い点付けるのはダサいよな~」的な「ワンピースおもろいっていうのはマイルドヤンキーやと思われるよな~」的な感覚あったやろ!

それ逆にダサいから!

まあショットのつなぎとか激荒なところはあるしいくら18世紀とはいえ脱走兵が大佐に返り咲いてたら情報伝わってバレるやろと思うけど、3くらいの面白さ・うまさは確実にあるって。

まとめ:94点(万人におすすめ)

ベタですごくおれの好みだった。94分という短めの上映時間もありがたい。

劇場で見て満足したけどどっちかといえばPCの画面で見ても面白さ目減りしないタイプの映画だと思うのでみなさんなんか見れるようになったら視聴されてはいかがかしら。

 

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