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『母なる証明』(2009)感想──血は汚い ※ネタバレ

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『母なる証明』(2009)感想──血は汚い ※ネタバレ

見た直後の感想

なんか高得点を付けたくなる映画。ようわからんかったけど3.9以下をつけると「じゃあこれ以上この話を魅力的にできるか?」と世の映画ファンに人差し指を突き付けられている気になる。
結構、ながら見だったのでちゃんどディティールを理解できている気はしない。
ただ、話の全容はつかめた。
考察が多く書かれているけど作中で語られてる内容をそのまま受け取ってストーリーを理解すればいいんよね?なんか意味が分かれば怖い話的な仕掛けある
ウォンビン演じるトジュンが無垢であることは確かなんだけど子どもが蝶々の羽をむしるように無垢だからといって悪いことをしないとは限らないんだよなー、と思った。
冒頭、ベンツのサイドミラーを折った罪をジンテから擦り付けられたトジュンは、無垢なる心で同じ悪さを再現する。
向くであろうがそれは罪に変わりないが、母は我が子が「無垢」であるというだけで絶対的な免罪符にしてあげたい、しなければならないと思う。
逆に言えば無垢でない他人などはその犠牲になってもやむをえないのである。
母なる証明は無垢なる嬰児に対する献身だ。

Story・背景

知的障害のある息子トジュン(ウォン・ビン)を溺愛する母(キム・ヘジャ)。ある日、ミソン(チョン・ミソン)という女子高生が殺害される事件が発生し、トジュンはその犯人として連行されてしまう。トジュンがそんなことするはずない!と母。何かと記憶力の悪い息子の代わりに犯人捜しをはじめ、まずは悪友ジンテ(チン・グ)に目をつけるのだが……。

第62回カンヌ国際映画賞「ある視点賞」、第30回青龍賞最優秀作品賞、第46回大鐘賞最優秀助演男優賞(チン・グ)と世間的な評価も得たポン・ジュノの第4作。主演のウォン・ビンは本作にて5年ぶりの銀幕への復帰を果たした。ポン・ジュノは本作で「優しいお母さん」というキム・ヘジャのイメージをいかに打ち壊せるかを狙い、作品の構想を固めていったのだという。

※参考1:母なる証明┃Wikipedia

※参考2:『母なる証明』ポン・ジュノ監督インタビュー┃映画ナビ

母なる証明は無垢なる嬰児に対する献身だ

↑読み返して何言うてんねんと思う。

ただ、何となくこんなことが言いたかったという感覚は変わっていない。

資料に当たって気づいたのだが、本作の主人公であるキム・ヘジャ演じる母親には名前がないのである。母親という役割だけの存在なのだ。

本作では母親という存在に対して二重の側面を提示しています。ひとつは、母親の絶対の愛です。それは道徳の善悪を超えて息子を守る愛ですよね。もうひとつは、母性の神秘化です。母親の愛情は絶対的であるが故に、それがいかなる状況でも当然になってしまった場合、母性を神秘化することになりかねません。

※引用元:『母なる証明』ポン・ジュノ監督インタビュー┃映画ナビ

とかく我々は儒教文化のなかで育ってきたチルドレンである。

長幼の序も、家制度も、だいぶ西洋化とともに崩れてきたとはいえ未だに(特に田舎では)色濃く残っている。

俺の母が口癖のようにいう言葉に「血は汚いからな」というものがある。

親子のふとした共通点とか思考の重なりについて、河内近辺で生まれ育った言語の粗野さがあいまった名フレーズだ。

我々は自分の身内だからという理由で無条件に一等親の面倒を見るし、大金を得ているくせに親の生活保護不正受給を見逃した次長課長河本やキンコン梶原をぶったたいたわけだが、家族なんか他人やんか、関係ないやんという考え方のほうがよくよく考えたら現代的な気もする。

でも、今のところ家族は助け合ってしりぬぐいをしあって生きていくのが通常だ。

それって一見あたたかく「キレイ」なことに思えるが、血はキレイだ、とはやはり思えない。

血は汚い、の方がしっくりくる。デオキシリボ核酸のつながりを精神的ななにがしかよりも重視する人間の獣性が、血の汚さが家族の「特別扱い」を生んでいるのである。

母なる証明が描いているのはその汚さ、家族というシステムの業である。

トジュン全部知ってた説について

トジュン全部知ってた説については俺は懐疑的だ。

終盤バスセンターにて母が放火現場に残した針治療の道具を渡し、「母さん、これを忘れちゃダメじゃないか」とまっすぐな目で語るトジュン。

母親はその道具を受け取り、観光バスに乗り込み、何かにおびえるような表情を浮かべた後、あの狂乱のダンスエンディングへと突き進んでいく。

「母さん、これを忘れちゃダメじゃないか」

が「母さん、これを忘れちゃダメじゃないか」(警察にばれてしまったら捕まってしまうよ)という意味だと解釈した人がトジュン全部知ってた説を唱えているのだと思う。

けど、それならそもそも警察に連行される前に死体を隠すなりもっとできることがあるだろう。

トジュン自身が「ほかの人に見つけてほしくて目立つところに連れて行ったんだ」といった通り、悪目立ちする行為を行ったのは彼が大人並みの判断力を持たないことを示している。

トジュン真の悪人説を信奉するなら屋上に死体を持って行ったのは彼の「異常性・獣性」の発露で、それ以外は計算高く振舞っていたんだということもできるが……。

それならもっと残虐な手段で殺してそうだし(※)ベンツのサイドミラーを破壊した件で罪を擦り付けてくるようなジンテとも縁を切ると思う。

※…余談だけどあのシーンの岩をぽ~いと投げて頭に当たってアホみたいに死ぬのはギャグなのだろうか?

俺の読みとしてはあれやな、ポンジュノ自身もトジュンがどこまでわかっていたかは設定しておらず、余白を残してみたんじゃないだろうか。

ただ、だからこそ推定無罪の原則に従ってトジュンはわかっていないというのが今のところの(つまり補足版や続編が作られない限り永遠の)正解なんじゃなかろうかね(※)。

※と思ったらこのブログ(http://latifa.blog10.fc2.com/blog-entry-820.html?sp)で原案について触れられていてかなり裏設定があきらかにされている。ジンテ思った以上に悪い奴だな~。

まとめ(80点)

基本的にベタだけどよくできた話だな~というのが俺の好みである。

そのため、とにかく変な話でよう困難思いつくな、だけどなんかすごいぞ系作品とは相性が悪い。

パラサイト、まだ見てないけど同じくらいの視聴後感になりそうだなあ。

 

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