『音楽』感想──衝動と技巧/感情と無感情のあいだ ※ネタバレ
目次
見た直後の感想
ようするに技巧と衝動の間の話ですわな、と思う。
衝動、というか思いつきのままにバンドを始めた研二。演奏の気持ちよさにとらわれる。
古武術の演奏を聴かされた森田は衝動に目から大量のうろこ、というか泥が剥がれ落ち滝から滑り落ちるような衝撃を覚える。家に何百枚ものCDを所有する彼はたいそうな音楽オタクなのだろう。
研二は森田に影響を与える。彼はチラシを受け取らない通行人への怒りをギターで表現し、その衝動に通行人は立ち止まる。
研二もまた森田に影響を受けていた。衝動100技巧0だった自身の音楽に物足りなさを覚えたのだ。音楽的第一次性徴である。
メロディを奏でられる楽器で最も身近なリコーダーをケンジはちょんまげ島で練習する。
そして、ラスト。フェスにて技巧と衝動が交錯する。音楽の完成である。
ロトスコープという原始的な手法で作られたやたらただ街を歩くシーンが多いこのアニメ映画もまた技巧と衝動の間にある。
Story・背景
不良学生研二(CV坂本慎太郎)は不良仲間の太田(CV前野朋哉)、朝倉(芹澤興人)と学校でTVゲームをしたりしてくらしている。ある日、ひったくりを追いかけるベーシストに「ちょっと持っといて」とベースを持たされる研二。翌日彼は仲間に言う「バンド、やらないか」と。
『シティライツ』などの大橋 裕之の漫画を岩井澤健治が7年の歳月をかけて映画化。制作には実在の人物の動きをカメラで撮影しそれを絵におこす「ロトスコープ」という手法が用いられた。主題歌はドレスコーズ「ピーター・アイヴァース」。岡村靖幸、平岩紙、竹中直人らも声優として出演している。
第43回オタワ国際アニメーションフェスティバルにおいて長編コンペティション獲得。
ケンジ、マクガフィン説
okamoto kensetsuの感想はこちら↓
読んでから見に行った。
基本的に感覚的な作品であり、特にメッセージもないので感想を書くことがない。
「衝動と技巧」についての説も俺が「ああ、そうなんだろうなあ」と受け取ったまでである。
この記事のアイキャッチにもしたのだが、この何の感情もないような目が蠱惑的である。
通常漫画は目・眉・口で感情を伝えるのだが、ご覧の通り研二には眉もない。
口だけが口ほどにものをいうのだ。
要するに研二はおよそ感情のようなものを持たない、物語上の装置のような人間だと思う。
いわば、研二は一種のマクガフィンなのだ。
不良仲間の太田・朝倉も、ガールフレンドの亜矢も、森田率いる『古美術』も、不良連中も、学校でさえもみなケンジを中心に回っている。
感情と眉を持たない「有在の」中心、研二が「音楽」に興味を持った、という大事件がこの映画の顛末である。
音楽という、感情のカタマリに。
赤ちゃんと「なんかいい」
せーの、で研二らが合わせ始めた音楽はベースとフロアタムとスネアだけ。
ほぼ、リズムだけだ。
しかし、それを合わせた瞬間に世界が回り始め、研二らは「なんかいい」と感じる。
なんかいい、というのが重要なポイントである。
赤ちゃんの感情の発達の仕方を、知っていますか?(All About 暮らし)
真偽は知らないが、上記のサイトによると、赤ちゃんの感情は「出生時には「興奮」のみ。生後3か月くらいで「快/不快」が加わり、2歳くらいまでに主な感情を獲得していく」らしい。
単調なリズムは体を揺らし、「なんかいい」を生む。
最も原始的な感覚を呼び覚ますのだ。
そのなんかいい、を携えて研二ら「古武術」は「古美術」をつきとめ、彼らの音楽を聞かせる。
家はCDに埋め尽くされた相当の音楽オタク森田は前述の通り全身全霊をもって感じ入る。
これは想像に過ぎないが、ロック、フォーク、プログレとさまざまな音楽を知り尽くした彼は携えた音楽知識を「試す」ような感覚でプレイヤーとして音楽に取り組んでいたのではないか。
登場時点では「古美術」はフォークバンドだったが、きっとプログレの時期もメタルの時期もテクノの時期もあったのだ(だからこそロックフェスであれだけの転身を遂げられたに違いない)。
メロディーとリコーダー
一方研二は「古美術」に誘われたロックフェスへの出演を快諾してほどなく「音楽に飽きた」といいだす。
しかし、前述の通り、俺の解釈ではそれは「飽き」ではなく「第一次性徴」である。
ギターとベースの区別もつかないほど音楽を知らなかった研二。
「古美術」の演奏を聴いてほぼ初めて「メロディー」の存在をしったのではないか。
研二の無感情な目は見開かれる。
ああ、俺もメロディーを奏でたい。「快/不快」以上の「かなしい」「たのしい」「うれしい」「おもしろい」「つらい」「せつない」……やらなんやらを表現してみてえ、と。
しかし、ペグの意味も分からず「ビョーン奏法」しか思いつかない研二。
そのままではメロディーが奏でられない。
そうして考えた末にたどり着いたのが「リコーダー」だったのではないか。
リコーダーは誰もが小学校で手にする吹奏楽器だ。
そこで奏でたかすかなメロディーの記憶!
そこに研二はかけることにしたのだ。
音楽が誕生し、恋が成就する
ロックフェス当日、研二はベースを携えて家を出る。
おそらくこのときはまだ迷いがあったのではないかと俺は推察する。
みんなと一度もあわせていないリコーダーよりもベースの方が「なんかいい」を得られるのではないか、「音楽」に近づけるのではないか、と。
しかし、大場率いる不良軍団の登場により研二の迷いは解かれる。
ベースは破壊される。
研二は、衝動のままに走り出す。
遅れて登場した研二は技巧的なリコーダーでオーディエンスを沸かす。
原作でいう「ボボボボボ」にメロディーが乗る。
リズム×メロディ。
そう、音楽が誕生したのだ。
古美術の面々も加わり、縦横無尽にかき鳴らされる技巧と衝動のアンサンブル。
そうして、研二は一瞬天へと舞い上がり、涙を流しながら感情のまま歌い上げる。
赤ちゃんのように「無」だった研二が、音楽を通して「感情」獲得するクライマックスである。
そうして、物語は終わらない。
最後は森田と亜矢の恋の成就を匂わせて物語が閉じる。
数ある歌のなかでもトップクラスに歌われているだろう恋愛。
「なんかいい」から始まったそれが複雑怪奇な「恋」にいたるという語るに落ちるラストだったと思う。
ステレオのボリュームを上げて詩のないラブソングをかけて
ありったけアドレナリン出して目が覚めるだけ
『消えるな太陽』歌:フジファブリック 作詞:志村正彦 作曲:志村正彦
ジャングル系のパッションあふれるツッコミ。
映画をみたら感想を書く。
https://twitter.com/miya080800