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『リチャード・ジュエル』感想──正義マンの成長とFBIの矛盾 ※ネタバレ

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『リチャード・ジュエル』感想──正義マンの成長とFBIの矛盾 ※ネタバレ

見た直後の感想

普通に心ふるえたし面白かったんだけどなんか腑に落ちない感じもする。
世界仰天ニュースのめちゃくちゃ凄い版みたいな視聴感。
あんまり頭の良くない正義マンといった性質を持つリチャードジュエル。他人に厳しいくせに2年くらい税金払ってなかったんかい!
しかしその善が爆弾の被害を最小限に抑えた…と思いきや、容疑者の最右翼として主に印象論に基づいて判断されてしまう。
とにかくジュエルの善性も愚かさも含めて複雑な印象をあたえるのがすごいところだ。ジュエル家の災難として、ママが記者会見で涙をながすところではこちらも胸が痛くなった。
ただ、気にかかったのは結局FBIは証拠の捏造も辞さない悪の集団なのか、ジュエルを偏見からなかば容疑者と決めつけて態度がわるかっただけなのかということである。序盤はねつ造を工作しているようにみえたが、自宅で録られた犯行音声のサンプルがなにか有効にはたらいた感じもしないし…。
あと、ジュエルが胸を押さえていた伏線が映画の後の史実説明パートで回収されるのにはおどろいた。

Story

性別:男、年齢:34歳、職業:警備員、家族構成:独身・母一人、趣味:射撃・鹿狩り・アーケードゲーム、友人:少なく孤独、名前:リチャード・ジュエル。1996年オリンピックイヤーのアトランタ、センテニアル・オリンピック公園にパイプ爆弾が設置され、2人が死亡、100人以上が負傷した。爆弾を最初に発見したのがリチャード・ジュエル。当初英雄となった彼だが、名誉目当ての爆弾犯ではないかとFBIに疑われその内容が地元紙に掲載されてしまう。

巨匠、クリント・イーストウッド40本目の監督作。主演リチャード・ジュエル役は『アイ・トーニャ 史上最大のスキャンダル』や『ブラック・クランズマン』のポール・ウォルター・ハウザー。ジュエルを友人として救うため奔走する弁護士ワトソン・ブライアントを『月に囚われた男』『スリー・ビル・ボード』のサム・ロックウェルが演じる。また敵役トム・ショー捜査官役は『ベイビー・ドライバー』のジョンハム。

Good:純情正義マンジュエル

ジュエルが完全にうざったい正義マンということがしっかり伝わるように映画がつくられていたのが良かった。

例えば昨年10月から導入された軽減税率の恩恵を受けるために、テイクアウトを装って店内飲食を行うイートイン脱税。その行為を通報する人間が正義マンと揶揄されていたのは記憶に新しい。

正義マンのイラスト。描いたやつのセンス爆発してる

ジュエルは明らかに正義マンになるタイプの人間である。

大学の警備員として勤務することになったジュエル。生徒の部屋に押し入り、「キャンパス内で酒は飲んじゃダメとしらないのか?」。どでかい体躯で生徒を押し倒し、暴力だ!と抗議を受ける。過去には警察官を騙って逮捕されたこともあったのだという(ジュエルは過去に警察官だったが首になっている。そのあとの話だろう)。

ただ、一般的な正義マンの場合、他人が怒られているさまをみたいという愉快犯的な面が大きいと思うのだが、ジュエルはより純粋だ。法と秩序を天動説論者やキリスト教原理主義者のごとく盲信している。

その純粋さが功を成し、爆弾事件を未然に防いだ「英雄」となったジュエル。

子ども部屋おじさん丸出しの彼を不憫に、またいとおしく思っていた母ボビ・ジュエル(キャシー・ベイツ)もうれしい落ち着きを取り戻せない。

しかし、そこからは予告編でもなんでもちょっと情報が入っている人なら知っているとおり、ジュエルは疑いの渦中に放り込まれることになる。

プロファイリングで割り出した犯人像にあまりに彼が当てはまったからだ。この正義はあるけど確かにこいつが犯人だったらちょっと痛快だと知っている人は感じるくらいのうざったさを兼ね備えている人物造詣が新しいし誠実だ。人間ドラマの質はどれだけ人間を描けているかにかかっている。

不幸で可哀そうな人の性格が鼻持ちならないことはままある

さて、疑いを持って捜査した結果、正義マンとして勤務先の学園で疎まれクビになった彼を疑う証言が前職の学園長によってなされる。

そして野心的な地元紙の記者キャシー・スクラッグス(オリヴィア・ワイルド)がリーク情報を公開したことにより世間はますます彼を犯人と決めてかかることになる。

あんまり藪をつついて蛇を出したくないのだが「日本の警察や司法こそ「推定有罪」の原則に基づいて捜査を進めており、国際的な基準で言えばおよそ非人道的な状況である」とカルロス・ゴーン逮捕をかわきりに頻繁に耳にするようになった。

袴田事件、足利事件……。

このように日本でも有名な冤罪事件は確かにある。

とはいえゴーンは絶対横領もしてたし税金もごまかしてたしだから逃げたんだろと思うけど。

権力あるところ理不尽あり

報道されてしまった手前、恥はかけないという事情もあり、ジュエルはトム・ショー捜査官らFBIに連行されてしまう。警察の教育ビデオを作るための再現ビデオに出演してほしいという名目で。

そこでジュエルは、なにやら書いたら重要な証拠になってしまいそうな書類にサインするよう迫られ、犯人役としてビデオの前で演技をしろと3人がかりで詰め寄られる。

完全に違法捜査である

そこは弁護士に連絡させてくれと何とか食い下がり、旧知のワトソンに連絡することができたジュエル。

そこからはワトソンとタッグでFBIやマスコミと対峙することになる。

…といった流れなのだが、

この時点のFBI・ジュエルと中盤以降のそれらの印象がややズレている。

マスコミが押し掛ける自宅へ捜査のためとして押し掛け、銃器からタッパー、母の下着まで押収してしまう国家権力。しかし、ジュエルは「僕は国家法務官だ。なんでも協力させてくれ」と警察側の下っ端のような物言いをし、あまつさえ「爆弾を公園にしかけた」という旨のセリフをテープに吹き込んでしまう。

ワトソンは怒って飛び込むが、トム捜査官は「もう録った」と勝ち確顔。

ここで「終わった…」と思ったよな? 観客のみんな。

しかし、その証拠がそれ以降出てこないのである。数日前は違法捜査まがいのことを仕掛けてきたFBIのこと。この声を犯行時のものと偽って提出し、ジュエルが公園から脅迫が行われた公衆電話まで迎える時間はなかったというアリバイ崩しに利用するんだろうと普通予想するはずだ。それなのに、結果はなしのつぶて。

これはちょっと看過しがたい処理の仕方である。

さらに、ジュエルのキャラクターについてもズレが。

このシーンでヘコヘコするジュエルとFBI事務所でサインを拒否し弁護士を呼ぶために三回も電話を掛けたジュエルが同一人物だとは思えないのだ。自分ちで家族やワトソンといるときの方がFBIで他人に詰め寄られてる時より断りやすいやろ!

まあ、史実なのでそうだった、といわれればしょうがないのだけど。どうにも納得のいかないジュエルの振る舞いであった。

国家権力に逆らえなく、またプライドを守るために味方面してしまい結果どんどん自分の不利な方に転がってしまう。これがジュエルの基本的なキャラクターだと思うし、そこにこの作品のヒューマンドラマとしての斬新さが詰まっている。

そう考えると弁護士呼べたのももっとラッキーパンチなんじゃないの? ジュエルと母が家を出られたのが9カ月後だったとか史実からの改変をちらほら聞いているのでそこもうまく脚色できた気がするのだ。

リチャード・ジュエルの成長物語

ただ、こういった瑕疵は計算ずくのものかもしれない。この映画は予告編やあらすじだけ聞くと、冤罪を覆すため絶対不利の状況から逆転をもくろむ法廷劇だと感じられるのだが、その実態はタイトルが示しているとおり「リチャード・ジュエル」という男の人間ドラマなのだ。

話の根底にあるのは実はジュエルが有罪になるか否かではなく、

ジュエルが国家権力にすりよる小市民精神の壁を乗り越えられるか

なのだ。

本作の一番の盛り上がりはFBI側からの質疑応答で、ジュエルが「逆に質問してもいいですか?」というところから始まる。

「あなたたたちはやってない証拠があるのかとばかり問い詰めますが、逆に僕がやった証拠はあるんですか?」そこまで警察官に協力的な姿勢を示そうとおもねるばかりだったジュエルが母の涙に奮起し、ついに自分を30年以上規定していた法秩序の絶対視とあこがれから解き放たれる。

ここが描きたい映画だったのだ。

証拠などないことを前提に動いていた(だから作ろうとしていた)はずのFBIだが、ジュエルの思いがけない反論に二の句が継げなくなってしまう。そしてジュエルは「では、もうここにいる必要はなさそうだ」とその場を後にする。

ずっとジュエルの敵に塩を送り味方に毒を回すようなこうどうにやきもきしていたワトソンは「よくやったな」とほめたたえる。

だから丁々発止の議論とか、あざやかな法廷での論理的抗弁とかそういうのはいらないのだ。

まとめ(85点)

最近俺はとみに涙もろくなっている。

実は本作一番の泣き所「ジュエルの母ボビが泣きながら息子の無実を訴えかけるシーン」では思わず眼頭が熱くなった。

だから心ざわつかされるパワーとしては90点以上の評価を与えたいのだが、冷静に「あの部分おかしかったよな」というツッコミVisorを召喚させると自分の中でこのくらいの評点に落ち着かざるを得ない。

まあそういうわけや。

 

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