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この世界の(さらにいくつもの)片隅に──もはや戦後ではない今考えるテーマは「代用品」 ※ネタバレ

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この世界の(さらにいくつもの)片隅に──もはや戦後ではない今考えるテーマは「代用品」 ※ネタバレ

Filmarks感想

前作から大きく変わったということはないので特にいうことはない作品といえばそれまで。というか、<完全版>ということだったんだな。
たぶん、原作に合って前作では省いたエピソードをきちんと入れたということなんだろう。
おかげで前作では???となっていたすずと秀作の関係のこじれ方や秀作がすずを水原のいる納屋へやった理由がわかりやすくなった。
そのぶん3時間となり、前作の大ファン以外は多少なりとも足は遠のくだろう。
それでも長くてつら、とはならない映画体験だった。おんなじくらいの長さのアイリッシュマンでは寝てしまった俺が言うのだから間違いない。

Story

第二次世界大戦下──広島から呉の北條家に嫁いだ浦野すず。結婚までほとんど顔も合わせたことがなかった夫周作、周作の優しい両親、気が強い未亡人の義姉径子、径子の娘晴美らと過ごす“なんでもない日常”が丁寧に描かれる背景で広島はひっそりとしかし確実に「その日」へと向かっていく。高い評価を得た前作の公開から3年、周作がすずと結婚する前に愛した遊郭の娘リンとのエピソードを中心に約40分上映時間を延ばしたのが、本作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』である。

もはや戦後ではない

1956年経済白書に記されたこの一節が実感をもって感じられる今日この頃である。

そう、もう、もはや完全に戦後ではない。その重要なトリガーが令和への改元である。

平成生まれの俺。昭和はまだリアルな手触りをもって感じられていた。それこそ同世代で霜降り明星せいやのように昭和大好き人間もいるだろう。しかし、大正は平成と地続きには感じられない。平安時代とは言わずとも明治や江戸の終わりに近い「歴史」の一部である。

そして令和になった今、昭和がかつての大正の位置にすっぽり収まった。

かけてもいいが、令和生まれの子供たちは第二次世界大戦を今自分が暮らす日本で起こった事件だと本当の意味で実感を持つことはできないだろう。いくら平和教育を行おうが、源平合戦を、元寇を、西南戦争を、イマココ性をもって実感できるだろうか?

米軍によるイラン革命軍防衛隊司令官殺害があったことを受けて「もはや戦後ではなく戦前なのだ」と半可通が言うような無責任な断言はしたくない。

第三次世界大戦は起こらないはずだ。少なくとも大国同士が総力戦を行うような形では。

(まあ、これも一市民の“希望的観測”に過ぎないのだけれど)

ただ、もはや戦後ではなくなった

戦争の話じゃなくて本当によかった

長い前置きになった。要するに何が言いたいかというと『この世界の片隅に』を見て「戦争が初めて身近に感じられた」だとか「私の祖母に見せると本当にこんな日常があったねえと涙した」とかしゃらくせえということだ。

面白いアニメーション映画に文部科学省推薦っぽいくせえ香水を振りかけるな!

別に嘘ついてるとは思わないんだけど上記の文脈で受け止めて返すのが「正解」みたいにされるとどうにも反発したくなってしまう。

そういう意味で、本作で拡充されたテーマは戦争と関係なく「すずという一人の女性のアイデンティティの置き場」の話だったので俺的には喜ばしかった。

別に戦争とか関係なくても成立する、しかしあまりほかのシチュエーションでは描き得ない「人間の葛藤の話」だからである。

両親、周作、すず、深まるそれぞれの人間臭さ

遊郭からリンを身受けしようとした周作。周囲の反対にあい、それなら代わりに「浦野家のすずという娘を連れてこい」と無茶な条件を出したのが結婚の発端だったことが本作で明らかになる。

大きく物語に深みがでた。

まず、ややいい人すぎるきらいがあった北條家の両親もやはり遊郭の娘を家に迎え入れるような「良き非常識」は持ち合わせていなかったことが明らかになる。はだしのゲンの親父ではないのだ。現代の価値観でいえば無体な仕打ちかもしれないが、普通の常識に従うほかない普通の人である。そんな家族のリアルが見える。

結局、リンを迎え入れることができず無茶苦茶な条件を出した青臭い周作も、前作のキャラクター造形を壊さずしかしただよき夫にとどまらない青臭い人間臭を放ち始める。

もっとも周作の葛藤が見られるポイントとして前作と共通する水原に「嫁を貸そう」とするシーン。前作だけではあまりに唐突ですわ周作はNTR性癖持ちなのかと疑いそうにもなったが、本作では納得しかない。

彼は罪悪感を抱えていたのだ。

そしてすず。前作でもあった腕を失い、急に実家へ帰ると言い出した後半のシークエンス。

急に我侭になったな、まあ腕を失って混乱しているからかなと処理していた気がする。

しかし、そこにはリンの存在が大きく影を落としていたのだ。戦争の影となったリンの存在が。

ここではひとりぼっち、と思ってた。

本作の公式あらすじの一分目がこれである。リンの代用品として“嫁いできてしまった立場”であるすず。その立場は決して盤石なものではなかったのだ。義姉の径子は義家とすずの目の前で離縁した。夫と時計屋という家制度の色濃い当時におけるレゾンデートルを失ったからだ。

であれば──私は代用品のままこの家にいていいのだろうか

アイデンティティには家のアイデンティティだけでなくもちろん個人のアイデンティティもある。

しかし、時限爆弾によって個人のそれを大きく破壊されてしまったすずは、せめて家のアイデンティティを強固にしようと、実家への回帰を図ったのだ。

もちろん晴美を死なせてしまったことへの罪悪感も大いに関係しているが。

結末にて代用品を愛する

物語の結末において、リンと周作は原爆投下によって母を失った孤児を拾う。

それは、北條家にとって完全に外部の存在、いわばすずの代用品である。

さらに、子どもという点は晴美に重なる。

そのうえ、汚れた孤児という特徴はリンのそれともいえる。

彼女を拾い上げ、家族に迎え入れるラストは代用品としてのすずを愛することであり、晴美に過ごせなかった生を与えることであり、リンの不憫な幼少期をひだまり色に塗り替えることである。

まあ、二次被ばくが生じて更なる不幸が訪れる可能性もあるけれど、そこから先は描かずに済むのがフィクションの救いである。

フィクションのままであってくれよ。

 

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