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映画『トップ・ガン マーヴェリック』ネタバレ感想 国家、宗教、「俺」のレガシー

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映画『トップ・ガン マーヴェリック』ネタバレ感想 国家、宗教、「俺」のレガシー

jet cloud landing aircraft

1986年以来、36年ぶりの新作『トップ・ガン マーヴェリック』を観た。

映画ファンを中心に評判が高く、1作目を超えた2作目という評価ムードすら漂う。

主演は、今年(7月3日)還暦を迎えるトム・クルーズ。彼の出世作が前作『トップガン』であり、前作の監督を務めたトニー・スコットは2012年に亡くなった。

代わりに監督に抜擢されたのがジョセフ・コシンスキー(『トロン: レガシー』『オブリビオン』『オンリー・ザ・ブレイブ』)。

<前作から30年。マーヴェリックはいまだ、海軍大佐として操縦桿を握り続けていた。ある日、旧友アイスマンの依頼でノースアイランド海軍航空基地に派遣されたマーヴェリック。命じられたのは、ウラン核兵器の開発が進められている秘密基地を破壊する作戦に準ずる12名の兵士を教育し、6名の選抜チームを育て上げることだった。>

「トム」の俺映画

IMAX、D列真ん中席で視聴。
前作未試聴。

トム・クルーズが教官となって戻ってくる! という雰囲気を醸し出しつつ、ずっとトムが操縦桿を握っていた。トムが無茶をし、トムが実力を見せつけ、トムが恋をし、トムがビールをおごらされ、トムが生還した。
敵は帝国なのかテロリストなのかあやふやな、真っ黒な戦闘機に乗った「敵」であり、教え子は12人いるものの、ピックアップされていたのはハングマン、ボブ、フェニックス、ペイバック、ルースター、コヨーテであり、これで6人の選抜メンバーは決定だ。

御年59歳のトムが、戸田奈津子訳で、体を張り、映画館に励ましの声をかけ、制作を総指揮し、「俺」映画を撮った。

要するに『ミッション:インポッシブル』シリーズと同じくこの映画=トムなわけで、この映画に漂う絶賛ムードもイコール、トム・クルーズというハリウッドの時代の象徴への賛美なのだろう。

例えば、合衆国の文化圏からもうちょっと距離を置いた空間での評価となるとどうだろうか。

と思って「トップガン 中国」で検索すると以下のような記事が。

中国に喧嘩売ったトム・クルーズ最新作「トップガン」 新興カルトという「もう一つの顔」は不撓不屈の愛国心(5/7) | JBpress (ジェイビープレス) https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/70404?utm_source=t.co&utm_medium=referral&utm_campaign=PCheaderButton @JBpressより

同記事によると、サイエントロジーの反中国姿勢が、トップガンにおける中国マーケット飛ばしにつながっているらしい。

確かに、そこまで体を張って「俺」を貫くには宗教的信念のようなものが必要だろうけど。

でもやっぱりサイエントロジーの意思ではなく、トムの信念として「俺」を貫いていては欲しいよなと思う。

頼りにしたい「男」の映画

中盤の訓練シーンで「クソ!それでも男か」「男なら忍耐よ」(うろ覚え)的な、セリフがあったと思うのだけれど、そういう男をトムが全部しょって、ルースターに移譲することもなくそのまま背負い続けているさま。
わざと時代錯誤ともとられかねないセリフを使ったことが、それがあえてであることを証明しているのではないか。

と、同時に大きな戦闘機の前にはマーヴェリックもひとたまりもないんだなあと切なくもなった。実際にはルースターに助けられたわけだけど。

飛行機にもバイクにも興味がなく、俺はどちらかと言えば後ろに乗せてもらう(もらいたい)側だが、それゆえに、操縦桿を握ってくれる人間の映画を見て、みんなが感じているノスタルジーも感じたし、同時に「身を預けてえ」という安心感も得た。

と、こうして背負って立つ「男」への憧憬をこの映画に見ているわけであるが、

先の記事を前提として考えると、やっぱりその男にもよりどころとしているものはあり、それは宗教だとか、国家だとかいう大きいもののわけである。

「国家」と「宗教」を相対化するのが近代以降の知的態度の条件だったように思う。

でもそれは、インターネットというテクノロジーの力によって結局は大きく進められたようだ。

Z世代にとって、国家も宗教もはなからもろい。

といいつつ、陰謀論とかSNSに形を変えてはびこっているだけかもしれないけど。

でも、俺たちY世代以前にとってそれは超克すべき存在として形を保っていたわけで、

久々に個人の心の問題でなく、形を持ったそれが(実態を伴わないファンタジー)とはいえ

確固たる形で出てきてくれたのがうれしかったのかもしれない。

まとめ

サイエントロジーの話で要旨がぶれたが、皆さんお察しの通り、古き良き、強い映画だった。

俺の隣で鑑賞していたおばさんは泣いているように見えた。

国家だの宗教だの小難しいことを言ったが、本当の感動の源泉は「肉体」のはずである。

本当に飛行機に乗り、本当に飛行機バカで、浜辺でビーチフットやって本当に楽しそうにしていたのだ。

それを見に行った。

泣きはしなかったが、ちょっと興奮したなあ。