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映画『流浪の月』ネタバレ感想 演出〇脚本✕ネガティブ〇ポジティブ✕

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映画『流浪の月』ネタバレ感想 演出〇脚本✕ネガティブ〇ポジティブ✕

本屋大賞受賞小説『流浪の月』を『怒り』『悪人』『フラガール』などの李相日監督が映画化したやつ。

公式サイトのスクショ

正直なところ、谷(多部未華子)の存在感はないです。

更紗(広瀬すず)・文(松坂桃李)・亮(横浜流星)の物語です。

全員メンヘラ’(この言葉、あと3年くらいしたらポリコレアウトになると思うけど)の話です。

てか、谷だけ苗字な時点で、制作側の扱いとしても、谷はサブだな! 「谷でも金」かよ…!

良いところと悪いところがはっきり分かれた映画

悪いところ→脚本(翻案)/ポジティブ・テンポのいいシークエンス
良いところ→役者の演技とそれを生かすねちっこい演出(特に横浜流星)/ネガティブ・静かなシークエンス

原作未読で劇場に足を運んだ。
2時間半という長さに二の足を踏んだのだが、結果として、「長い」とは感じなかった。スピルバーグ版『ウエストサイドストーリー』(3H)がめちゃくちゃ長く感じた俺がである。
セックスシーン・暴力シーンなどで胸を出したり、大胆なことをするわけではないのだが、思ったよりもねちっこく、リアルで緊張感が止まらない。だから、長回しでも飽きない。緊張するシーンばかりで肩が凝ってしまったほどだ。特にDV彼氏りょう君役の横浜流星は素晴らしかった。特に序盤、クレイジーなわけではなく、表面上は紳士的で、でも有無を言わせない圧を醸し出す──。嫁はんは終盤プッツンしてからナイフでりんごを食っているシーンはさすがに陳腐で笑ってしまったといっていたが、俺はそこも違和感なく。

「エリート会社員」という記号的表現はいかがなものか。
演技はほんとによくて褒めてる人も多かった。


人物を移して、一方にフォーカスしつつ、ぼかされた背景でも何か動作が行われているという演出が多用されていて、このあたりの細部にこだわる特性からも、繊細な感情表現と李監督の相性の良さが感じられる。広瀬すずはどう転んでもヒロイン声過ぎるのが女優としては不利だよなあと思うが、うなされるシーンとか良かった。

逆に下手糞なのは楽しいシーン全般

象徴的なのが、更紗(小学生)が文の部屋で暮らすようになって、オムライスのシーンからの突然洋楽が流れ出し、2人のつかの間の日常が描かれるところ。曲調も古臭いし、2人の感情が徐々に疎通していく流れも描かれていないしどのくらいの期間がたったのかもよくわからない。原作既読の嫁はん曰く、そもそも自由な両親の元のびのびと育てられた更紗が、親せき宅で抑圧され、そこから解放された文との日常がお互いにとってかけがえのない時間となった、それは規則正しい生活を厳格な母親に強いられていた文を開放するきっかけともなった──というではないか。なるほどだから文がシンプルにピザを食うだけのシーンが何かの達成のように意味深に撮られていたのかと膝を打った。そのあたりがまるで分からない。

このシーンがオムライスのシーン。終盤に再度出てくる。文が更紗の唇のケチャップをぬぐって意味深な表情を浮かべるところから、「ほんとにロリコンじゃん」とびっくりこいたのだが、そのあとの描写を観ると、やっぱり真正ペドというわけでもなさそうで、なんというかそのあたりセンシティブな内容だから原作も映画もぼやかして逃げたんじゃないかと邪推…。


監督自身もそのあたりのポジティブな瞬間をとらえるのが苦手な自覚があるのか、基本、文と多部未華子の恋愛模様とか、文と更紗と預かった女児(梨花)の奇妙な共同生活とか、楽しい部分がごっそりカットされている。かけがえのない美しい瞬間があったからこそ、それが失われる悲しみが引き立つわけで、そこがカットされていると緊張はあるものの、緩和なし。思い返せば妙に起伏のない話だったなという印象になってしまった。

ボイスオーバーで映像だけ次のシークエンスにするという手法も2、3回使われていたが、変にドラマっぽくなってそこもテンポを良くしようと思って滑ってる部分だなと。
ねちっこい描写はほんとにいいんだからそればっかりやってくれたらたまらんやろなあ。
『怒り』を観たい。

原作にもあるロリコン問題

全体的に説明不足で、ねちっこく1シーン1シーンを録るという監督の良さと引き換えに、いろいろと原作の要素が失われている(らしいと嫁はんの話を聞いて理解する)。本作の中心的な問題の一つである文の「ロリコン」について、「全然ロリに欲情してそうじゃないじゃん。ほんとにこの人ロリコン? どっちかといえばアセクシャル(無性愛者)では?」と思っていた。それは確かにオチともつながるのだけど、まずもって「それ」をロリコンと接続するか? そういったある種のタブーに踏み込むさ宇品かと思わせて、それは要素に過ぎませんというのは肩透かしすぎでは? 逆にロリコンを症状のアイコンとして消費しているのでは? ……と疑問に思ったのだけど、これは原作からして存在する問題か。

更紗が夕飯で必ず食べるアイスにも、原作では意味が付与されているのだ。

まとめ

ネガティブなシークエンスが見事につるべ打ちされた結果、「2人の絆」の物語ではなく、「メンタルヘルス」の物語になってしまった。
決してそれは悪いことではないけれど、別の人が脚本・監督して悲しいシーンの演出だけ李監督がやった方がよかったんじゃないかとは思った。

とはいえ、2時間半退屈せずに見れたし、全然よかった。
「ただ文句をいいたくて」じゃないんだからこんなに文句言わなくていいじゃないかと思うが、なんか批評しようと意識したらどうしても批判大目になってしまう。
俺が、伝統的な映画評論の勉強をしておらず、批評の言葉を持たないからだ。
でも、それをしたところで面白くなるのか?