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映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』ネタバレ感想 NYサブカルクソ女奮闘記

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映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』ネタバレ感想 NYサブカルクソ女奮闘記

サリンジャー、ニューヨーク、おしゃれカフェ、シガニーウィーバー、サブカルクソ女、青春の蹉跌……。

こういう映画です
クソださコメント!!

主人公はサブカルクソ女

都会に行って浮かれて地元をほっぽらかし、現地で出会ったクズっぽい男と同棲を開始。かっこいいっぽい夢を持っているけれど、現実と生活と新しい出会い、認められたい欲求の方がそれを上回っており、エゴを小出しにしながら労働にいそしむ。そんなどうしようもないけど、よくいる若者の話で、  どちらかといえば邦画にたくさんある。

ここまであしざまに書かなくても良かったかなとは思う。基本的にジョアンナは善意の人として描かれているし、まあ、、都会で浮かれて木綿のハンカチーフ状態になってしまったのです。
前日に嫁はんとゆず『君は東京』(2003)の話をしたので、「まさにそんな映画じゃん!」と興奮しながら、街中華で話したのだが、「そんなことない」と否定された。カール目線じゃん!
と思ったが、そこまで荒れた生活は送っていない。
この曲を聴くとキングギドラ『スタア誕生』(1996)のことも思い出す。

そこまで身を持ち崩していないという意味で、『花束みたいな恋をした』の「絹」っぽさも感じたが、あいつは田舎から上京してきたわけではないしな。
『NANA』のハチみたいなことなのかな。

主人公ジョアンナ(マーガレット・クアリー)。
ラパルフェ都留とアン・ハサウェイを足して2で割った顔である。

エド・シーランみたいな要望で髭もじゃクズ彼氏のドンは浮気者で半分ヒモみたいな状態なんだろうなということが何となく雰囲気とか展開から察せられるが、それにしては「証拠」が足りず、結婚式にパートナーを連れて行くのが普通みたいな文化も日本にはないので、むしろ急に別れを切り出して家賃折版とか現実的な問題に対処もせず「愛してない」と飛び出すジョアンナの方がクズに見えた。

若者が都会デビューして、特別になりたいと思って、そのために他人に想像力を持てないというのは本当にベタな主題であり、それが解決されないのはまったくリアルなのだけど、イイ話ではやっぱり終われない。その隙間を埋めるのがサリンジャーという存在なのだろうけど、アメリカ人ではないので、そこがどうしても掬いきれなかった感がある。

これがドンだ。ダニエル・ラドクリフにも似ている。

サリンジャーとわたし

本作で問題なのはサリンジャーというアイコンをどうとらえるかで、『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』『ライ麦畑で出会ったら』などサリンジャー自身、ファンダム、影響を受けたクリエイターなどさまざまに、映画になるほど、アメリカではでっかい存在お言うのがどこまでピンとくるかで評価が変わってしまう気もする。
俺自身は『ライ麦畑』と『ナインストーリーズ』は読み、実際『ライ麦畑』にはそこそこ喰らったが、むしろその影響を色濃く受けた佐藤友哉の『鏡家サーガ』の方に撃たれた学生自分であって、その経験からも、サリンジャー的な自意識には普遍性がありながら同時にドメスティックなもので、海の向こうの人間からは十分に理解できないのではないかという予感もしている。

okamoto kensetsuも『ライ麦畑』は好きだと言っていた。
基本的に好きな物語のタイプとか違う俺たちをここまで包括できるのは、やっぱりテーマに普遍性があるというか、思春期こじらせる全員に突き刺さるパワーがあるんやろなと思う。

ジョアンナの持つ「3段階のわたし」

未熟な若者が仕事を通じてメンターを見つけ、一歩成長する──と、ストーリーラインはベタだし、みんな大好きなやつなのだが、少しややこしいのが主人公ジョアンナが学生時代の自分を置き去りにしていることだ。現在の自分の問題(夢を追わずクズ彼氏とサブカルクソ暮らしをしている)と学生時代の問題(彼氏を放置している)は全く別問題なのだが、そこを終盤で同一視して、脳内ホールデン(サリンジャー読者)との対話を通じて、無理やり連続で解決させるのは、ひとつの映画として主題が散漫とする流れであり、「欲張りすぎているな」と思った。

とはいえ、欲張らず、カールの要素を入れなければ面白くなったかというと単に話がたんぱくになるだけかもしれない。ちょっとドンの人間性が描かれてなさすぎるんだよなー。今一歩、チャラいサブカル女喰いヒモ人間のアイコンから脱し切れていないのだ。日本だと絶対オダギリジョーが演じるんだろなー。もうちょっと若ければ藤原季節とか。

サリンジャーが中心にあることから「少女時代≒イノセントとの決別」という雰囲気も残したかったのかもしれないが、実際のところ主人公はずっとニューヨーカーに認められて詩人になりたいという夢を持つ夢見る夢子ちゃんであり、最終的に選んだのがせっかく認められた仕事を辞めて詩人を目指すといういっちゃあなんだがイノセントな結論なので、あまり成長した感が感じられない。
そこは仕事を続けてパイプを維持しながら、同時に「詩人」も目指すというのが現実的だし、現代的な夢の築き方ではないか。
とはいえ、SNSも存在しない1995年の話だし、自伝に基づいている作品なので、物語の展開は変えられないのだが。
でもだとすると、「成長した」みたいな演出にはやっぱり違和感がある。

とはいえ、物語的な「夢に一歩踏み出す」とはこういうことだ。俺はもうそういう年齢ではなくなってしまった(自意識がある)ので、変に批判的になってるだけかも。。

実際のジョアンナは、37歳でデビューしている。
結果出されたら文句言えんからな。

まとめ

ジョアンナの事がどうにも好きになれず、またそのことで嫁はんと盛り上がったので、妙に批判的なレビューになってしまった。

とはいえ、看板に偽りなく、『文芸版「プラダを着た悪魔」』だし、「前に一歩進む」物語だし、若者の物語だ。

一見の価値あり。

P.S.

嫁はんと『ライ麦畑』は日本で言うと『人間失格』だよなという話になり、女主人公でそういうやつってないよなという話になった。初期の綿矢りさが一番ちかいらしい。何か思いつくもの、みなさんはありますか?