『ファンタスティック Mr.FOX』感想──91点 獣性=人間性
シンメトリーを多用したおぢゃれ映像映画作家として知られるウェス・アンダーソン初めてのアニメ作品『ファンタスティック Mr.FOX』を見た。
91点と高得点をつけたい。87分という短さがまず好ましい。
俺はウェス・アンダーソンの近作『犬が島』を劇場で見たのだが、そちらはちょっとエキゾチックなセンスだしすぎ&日本趣味が外国人からするとシュールでポップなんだろうが日本人からすると普通に違和感がある感じで、しんどかった。
それに比べると海外が舞台のこちらは、無責任にファンタジーを楽しめる。
それが好ましいのだ、ニヒニヒ(かいけつゾロリの笑い方!)。
犬が島を先に見ていたけど、犬が島よりかわいくて好きだった。
確かに俺『ジャイアントピーチ』すきだったもんなあ~~。
目次
センスを脱臭する獣(けもの)性
ウェス・アンダーソンのセンスのよさっていうのはセンス良すぎて逆にダサいと思っていたのだけれど、今回の狐の獣性むき出し食事シーンはそこをさらにセンス良く中和していてよかったなと思った。
犬が島にも本作にも「ハズし」的な部分はあるんだけど、そうじゃなくてギャグ芸人のようなパッションを随所で見せてほしい。
それがセンスいい。
お笑いセンスなんて言葉があるけれど、(そして面白くない人ほどその言葉を使いたがるけれど)、なぜそんな言葉があるかって、センスとはつまりスタンダードに対する外しの塩梅を測る技術だからだ。
だから、「いいものをいっぱい見てセンスを磨けよ」なんていわれるわけである。
きちんとネクタイを締めて仕事をする知性を持つフォックスたち動物が、ひとたび所食事を前にした時には獣むき出しになってしまう。
そして、それは恥じるようなことじゃなくて、キツネだから当然そうすることだ。
その世界感、キツネ人間目線の設定の置き方がセンスがあるじゃないか。
そして、この獣性=本能というのは、本作のストーリーを転がし続けるファクターでもある。
ストップモーションの魅力
ストップモーションアニメになったことでネズミとの攻防と弔いみたいな実写でやるとあほらしい西部劇的王道ストーリーも真っ当に映像にできるのはいいなと思う。
最近、ご多分に漏れず『PUIPUIモルカー』にはまっている。
ストップモーションアニメの魅力は「違和感の味」だ。フレーム数の制限をあえて作るなかで、いかにして命持たないものたちにアニマを吹き込むのか?
そこに魂はないと分かっているのに「生きてる感」をかぎ取ってしまうその揺らぎ、そこにこそこうしたアニメの制作に労力をかけるだけの魅力があるのだと思う。
Mr.フォックスはモルカーに比べるとだいぶ固そうだが、それゆえに「触りたい」ぬいぐるみ的な魅力ではなく人間の隣人としての「油断ならなさ」を備えていて、だからある程度長尺のドラマを表現することができるんだなと思う。
やっぱりモルカーは五分くらいがベストだろう。
考察:フォックスたちが肉を食らうわけ
服を着たフォックスみたいな知的生命体がいる一方で、狂犬病の犬とか家畜系の現実と同じ動物も存在する世界観も面白い。たぶん違うけど考察を膨らませると、フォックスのような野生を失うとだんだん家畜化されて知的能力を失ってしまうのかもしれない。それは父になり、自由を制限された男が家畜化されている中年の危機メタファーとも重なる。だから最後にオオカミを見つけてフォックスたちは右手を掲げるのだ。
公判の狼の下りが本当になかなか唐突なのだ。
だから、このテーマの読みもなかなか外れていない気がする。
人間だって、野生を失ってお父さんロボット・お母さんロボットになって家畜化していってしまうことはある。というか、現代人はそれを恐れている割合がそれなりに高いのではないかと思う。
まあ、結婚したとて子供が生まれたとて人間は地続きの自分のままだし、だからこそ浮気や虐待のような悲劇も起こるのだが。
ともかく、野生がフォックスの人間性を支えているという二律背反があり、その意義が、最も彼らを獣たらしめている食事シーンに表れているというのは面白い構造だなと思う。
作中でおとなしく飯を食べる生き物は人間の支配下にある生き物とされている。
だから、番犬はブルーベリーを食べるのだ。
それが睡眠薬入りともしらずに。
ジャングル系のパッションあふれるツッコミ。
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