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『アネット』 84点─「神の類人猿」とは

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『アネット』 84点─「神の類人猿」とは

劇場ではこの最初の部分をカットした予告編が流れていて、それを見て足を運んだのだ

途中(アネットが最終公演をしているあたり)、少し寝てしまった。

やっぱり俺は

変なものを見て「面白い!」ではなく「変だなあ」としか思わない

ので、そこでそこまでワクワクできないのだ。
ただ、ものすごくいい睡眠がとれた。

初レオスカラックスなので、よくわからないんだけど、冒頭&ラストからして劇中劇的で、単純に

「ショーがテーマなのかな」と思った。


終盤までアネットが人形で、刑務所にて父親(アダムドライバー)の面会に訪れたところでやっと人間の女の子になるんだけど、シャバでショーマンとして暮らしていたヘンリー(父親)が刑務所で笑いからも、殺しからも解き放たれた(そうジョーク交じりに指摘される)ことで、やっと人間になり、アネットを人間として捉えられたのではないか。
そして彼は壁の隅を見る。それは大勢の人間と向き合う舞台とは真逆の、内省の世界なのだ。

「神の類人猿」というヘンリーの肩書

も、神も類人猿もいずれにせよ人間ではないというのがミソで、舞台の上では我々は神になるか、あるいは人間未満の存在になるかするかする必要があり、すなわち何かが足したり引かれたりすることになる。その何かを埋めたり減らしたりするためにドラッグや性暴力や嫉妬が生まれる、というのは言い訳に使われたら最悪な言い草だが、まあ、そういう世界観があると仮定しても良い。

死後の世界から嫁はんが赤子の歌として呪いをかけるとか、意外と脚本やストーリーはどっしりしていて、話がないタイプの映画ではないんだけど、

「わからせる」ということをあえては絶対しないぞ

という意思も感じられる作劇であり、俺は気持ちよく眠って、目覚めたら画面上では裁判が行われていたのだった。

今回参照したもの

結局、アレックス三部作を見ずにこれだけ見ても、何も判断できないのだろうなと思った。

とはいえ、今劇場でかかっている映画しか見る気がしないよ。

10年に一回の映画の一回って確かにお祭り騒ぎで、その特別感こみで鑑賞するかどうかは大きく印象を変化させる。

今回、仙台のチネ・ラヴィータの席が4列しかない1番スクリーンの3列目で見たわけだし。

この前TOHOシネマズで『ガンパウダー・ミルクシェイク』みたときに画面でかくてびっくりしたもんな。

その分値段もごっつくなるけど、とはいえプレミアム会員になってなかったら変わらんし。

こんな話ジャングル系のサイトに書いてもどないすんねん言う話。

俺の感想は結局テキストの話に終始するのだけど、映画はそういうものではない。

といいつつ、テキストの段階で出来上がってないような人生とか意識みたいなものを作品として見せられたくはないよ。

といいつつ、『アネット』は結構テキストのレベルで描くことが言語化されているし、筋も通っているタイプの映画だと思う。

じゃあなんで眠くなったんだろう?

やっぱり何がほんとで何が嘘かがわからない感じの描写が多かったからだろうか。

水原希子が登場する6人の女優による#metooのくだりも、おれちょっとホンマかと思ってたもんな。

※このシーンの前。

しかしあれは、嫁さんの妄想であり、アダム・ドライバーがそういう破壊性とか暴力性を内に秘めているということへの不安感を現代っぽい形でイメージとして表しただけだったみたい。

VHSが品切れ中だ